歴史探訪

◎東北で一番歴史が長い都市

塩竈は縄文時代から製塩の地として栄えました。また、製塩とともに塩竈神社の歴史が古く、門前としての(港)として歴史があり、国府多賀城を建立する時も部材を海路で運び、塩竈の港に陸上げしたと考えられています。
史実としての登場となれば、隣町の多賀城国府として中央政府の東北の中心部であり、多くの遺跡や文字などが残っていますが、一度滅んでいる事実があります。

◎塩造りは軍事用だった

塩竈は、古くから塩造りで栄えた町であり、食用はもちろんでしたが、それ以上に城壁を固める為の接着剤として大量に製塩されたようです。多賀城国府が東北の軍事拠点として存在していたために、東北各地に運ばれたと考えられます。

◎松島の松は植林

製塩のために大量の木材の伐採が行われました、今でこそ盛んに叫ばれている環境破壊が行われてしまったのです。松島湾に浮かぶ島々も同様です。当時は、松も含めた雑木林であったと思われますが、鎌倉時代に見るに見かねた幕府が松の木を送り、植林したと伝えられています。

◎鳥居原古代市場

現在の塩釜高校が建つ場所は、古代の市場跡でした。奈良京都以東では、最古の市場と言われています。当時、ここは塩竈神社の石鳥居があり、その周囲に大きな市場が形成されていました。塩を中心に食品から生活用品など様々な品物が交換され賑わっていました。当時、塩竈には平地が少なく、農耕には向かない土地であったと考えられます。漁業と塩造りそれと商業で成り立っていたのではないでしょうか?
iseki-torii2 マルコポーロが著した「東方見聞録」(1299年)の中で、日本は「黄金の国ジパング」と表現されています。当時、日本の主な金の産出地域奥州であり、宮城県涌谷などが代表的な例です。また、元代に書かれた「宋書」にも「東の奥州は黄金を産する」とあります。この奥州で最大の市場であった塩竈の鳥居原市場の中でも金の取引が行われていた可能性も高いと考えられます。源義経の時代の「金売り吉次」が塩竈の周辺に居を構えていただろうという事も頷けます。

◎源義経が塩竈神社を参拝

源義経が、藤原秀衡を頼り一番最初に京都から平泉に行くときに、尾張までを陸路、そして船に乗って塩竈に着いた、とされています。当時、周囲に港はなく、また、「金売り吉次」が手引きしたものと見られ、吉次は、塩竈の周辺に住まいを持ち、金の商いをしていたとされますので、塩竈から陸に上がるのは自然なこと。
その際に鹽竈神社に詣でたと言われています。

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鹽竈神社の境内にある、文治神燈は文治3年(1187年)に藤原秀衡の三男である和泉三郎忠衡が父の約束を守り自分の命に代えてでも義経を守るという誓いを込めて寄進したものだそうです。後、忠衡は、義経をかくまった父の遺言どおり、最後まで義経を守ろうとしましたが、頼朝の圧力に屈して義経を殺害した兄(秀衡の次男)泰衡に同様に殺害されてしまいます。忠衡のとった行動は「おくのほそ道」で「彼は勇義忠孝の士也」と讃えた松尾芭蕉をはじめ、多くの人々に感動をあたえました。

◎京都にある塩竈

京都の下京区に本塩竈町、塩竈町、また本覚寺に塩竈神社があったり、塩竈山(えんそうざん)上徳寺という寺があったりと、塩竈の名が見られます。800年代に源融が六条河原に塩竈を模した庭園を造って、毎月難波から30石の海水を運び込んで藻塩を焼く雅を楽しんだと言われています。これを基にして地名として残ったと考えられます。
また、源融が塩を運ばせたと思われる道が、塩小路という地名で残っています。

◎歌枕の地

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塩竈」「まがき島」「野田の玉川」「千賀の浦」など歌枕として歌われたその数、現在317首を数えています。平安の頃より、塩竈が美しいものの代名詞として存在していた事実が伺い知れます。
現在は、松島が日本三景として有名ですが、奈良、平安時代の頃には、塩釜からの景が今で言う”松島湾の光景”であったのです。

◎日本式庭園の景色は塩竈

源融が造った六条河原の庭園が日本式庭園の始まりとされています。それまでは、中国式であったようです。この融の庭園が塩竈を模したもので塩竈の景色が日本式庭園のルーツです。写真は、1653年に石川丈山が復刻させた渉成園(枳殻邸)東本願寺別邸です

◎地敷に描かれた塩竈

地敷とは、香道で香元が手前の道具を並べるための敷物のことで、金箔の面には松・竹・梅・鶴・亀が描かれ、銀箔の面には塩竈の景が描かれている。
香道は、現在二つの流派があり、香木を炊いて香りを聞きます。平安時代からの歴史があり、貴族たちが楽しんだという記録があります。この事を考えますと、融の庭が香道にも影響があったと考えられます。

◎謡曲、古典尺八の世界でも塩竈と野田の玉川

謡曲、尺八の世界にも塩竈・源融・野田の玉川と出てきます。これらの曲は、かなり難しい曲らしいです。能の世界でも「融」が有名ですが、源融の六条河原などの一連から来たものと考えられます。野田の玉川は、日本六玉川の一つに数えられています。

◎「浜で美しいのは塩竈、葉まで美しいのはシオガマ」

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シオガマの名の付いた高山植物がたくさんあります。コシオガマ(日本全土)シオガマギク(九州以北)トモエシオガマ(中部地方)ミヤマシオガマ(中部以北)エゾシオガマ(中部以北)ヨツバシオガマ(中部以北)オニシオガマ(北陸以北)などです。

◎お釜神社は日本三奇の一つ

製塩で有名な御釜神社ですが、製塩の為の四つの大きな竈があります。その竈には水が這ってあり,その水位が季節を通して変わらないそうです。また、塩竈に大事があれば、水の色が変わると言われています。あと二つは、兵庫県高砂市の生石神社と宮崎県霧島神社にあるそうです。

◎日本人で最初に世界一周した男

寛政5年(1793年)仙台藩の御用米を載せた千石船「若宮丸」が、江戸に向かう途中に暴風雨に巻き込まれ難破漂流。半年後にロシア領で保護された乗務員は、ロシアの各地を転々とした後にロシアの当時の首都ペテルブルクにたどり着いた。そこでロシア皇帝の謁見を許されるなどの厚遇を受けながらロシア文化を体験し、ロシアの軍艦で長崎の港に到着、漂流から実に11年の歳月を費やしての帰国であった。「若宮丸」は石巻の船であるが、リーダーの津太夫は塩竈の寒風沢島の出身である。

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このページを作るにあたり、塩竈市役所の阿部光浩氏、ユネスコ協会の菅原周二氏をはじめ、多方面の皆様にご指導をいただきました、ありがとうございます。私の理解不足、文章力の無さによる行き違いもあると思われますのでその点はご理解下さい。また、この他の情報やご意見があればお知らせ下さい。まだまだ充実させたいと思っています。